を見てみた。
イカ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
これは、イカな萌えアニメですね(´∀` )
今回は一話で動かしすぎたせいか、
主人公たちの状況を描く必要があったせいか、
説明話でした。
もっと言えば、この回で描きたかったこと(描かなければならなかったもの)
それは「ニコタマ町」自体だったのでしょう。
ただ、ちょっと「街の空気」といいますか、厚みが感じられなかった気がします。
たとえば「Dears」というアニメの商店街の人々は生き生きして良かったです。
フタコイの街の人々は、本当にサブキャラなだけで、
それぞれの人々の人生が見えてこないからかもしれませんね。
(主人公がいないところでも、生きていると言うべきか?)
これは、脚本の人の年齢の差かもしれませんね。
一番の問題は「イカ」に逃げてしまったところかもしれません。
いや、イカ自体はいんですが
(というかイカキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!と喜んでいました)
近代においてヒーローとは戯画的な存在しかすぎません。
「彼」に対する憧れも同じでしょう。
それに対するアプローチはふたつ。
徹底的にまじめに取り組むか。
あるいは、戯画的な部分を含めて愛するか。
前者は、気恥ずかしさのためでしょうか、あまりみません。
と、いうか、端から見ると戯画そのものです。(だからこそ本物)
それゆえ、茶化すことが多いわけではありますが、
この茶化しは後者では決してないと思います。
この場合、イカは茶化しではあります。
それに対抗する主人公の父もまた茶化された戯画的ヒーローです。
(工藤ちゃんスタイルを見よ!)
そんな工藤ちゃんパパは愛する街を守るために無謀にタタカイを挑み、
ついには、ライダーキックで、イカを倒すわけです。
主人公は、そんな父に憧れるわけですが・・・。
それで終りな訳ですよ。orz>主人公の心情
まじめパターンなら、それでもいいですが、それではないことは明らかなわけで。
後者だとすると、戯画的な部分への愛情とが抜けているような気がします。
最初の戯画的な工藤ちゃんパパ→実はかっこいい!!
だけだと、ヒーローのかっこよさへの愛情しか見えないわけですよ。
それだとまじめパターンと変わらないし、
ひねている分、威力が薄れてしまうような気がします>憧れ
かっこいいけど、やっぱりだめなんじゃない、この人?
というシーンがあって、
それでも憧れてしまうのが、現代的なヒーローだと思います。
街も、いいところもあり、悪いところもあります。
もしかしたら、悪いところも多いかもしれません。
それでも、主人公たちが街に住むのは、好きだからだと思うのですよ。
そんな陰影のある街が見られたいいなと思って、このアニメを眺めていました。
なんか、自主製作映画っぽい、安くて湿っぽい雰囲気があるから思っただけなんですが(笑
(アニメでやると意外に予算かかるのかもしれません)